研究法から生き方までの最近のブログ記事
最近は非正規雇用者の仕事がうしなわれるだけでなく,正規雇用者までもが失業する危険がふえてきている. そういうなかで,ワークシェアリングがすすめられるようになってきている. 私は研究者であり,研究はワークシェアリングなどできないとかんがえてきたが,もうすこしちがった見方もできることに気がついた.
英語の論文を書くのはいまでもへたですが,それでも,ひとなみには書けるようになったようにおもいます. また,「速読のための訓練」 という項目に書いたように,必要にせまられて英語の論文をスクリーニングする技術を身につけました. いずれも,会社づとめをはじめたときには,まったくダメでした. 会社ではいろいろな仕事をしなければならなくなるので,ずいぶん時間をかけて,やっとここまできました.
「日本には評論家ばかり!? ― オリジナルな仕事より評論にながれる」 という項目で,私は評論よりも自分であたらしいものをつくる仕事がしたいと書きました. しかし,最近ブログにはものづくりや家庭菜園の話もあるものの,書評をはじめとして批評のたぐいがますますふえているようにおもいます. さらには,BK1 から書評を書くことをたのまれたりして,このままではいよいよ評論家への道をすすんでいきそうです.
研究を仕事としていると,ときどき論文の査読をたのまれることになる. なれないうちは査読結果をどう書いたらよいかなど,なやむことがおおかった. しかし,最近は比較的短時間で,それほどくるしむことなく査読できるようになった. ここでは私の査読のやりかたについて書くことにする.
「ひとつのブログにあらゆるテーマで書いている理由と記事の分類について」 という項目に書いたように,私はあらゆるテーマの項目をこのブログのなかに書いています. このブログはいわば私の思考のひきだしというやくわりをになっています. つまり,これまでにかんがえたなかで重要なことはみなこのブログのどこかにしまってあるというようにしたいとおもっています.
このブログのなかにあらゆるテーマの項目を書いています. どうしてブログをわけずに書いているのか,ブログのなかをどうわけているのかなどについて書いてみたいとおもいます.
自分の手でものをつくりプログラムを書くことをこれまで 30 年あるいは 40 年やってきました. 会社のなかでは,としをとるにつれて自分ではつくらずにドキュメントばかり書くひとがおおいのですが,私自身は自分で手をうごかすことにこだわってきました. これからの 30 年あるいは 40 年も,そうしていきたいとかんがえています.