会社のリフレッシュ休暇なるものを利用して,7 月 18 日から 6 泊 7 日で,家族で北海道を旅行してきました. リフレッシュ休暇は 10 日 (2 週間) あったのですが,こどもの予定の関係もあり,この旅行は 1 週間だけにしました. 北海道を横断ないし縦断するには,やはりレンタカーがよい. そこで,函館から札幌,旭川 (というより旭山動物園) をへて知床,釧路までいく計画をたてました. 北海道といえば飛行機で往復するのが常識ですが,行きは新幹線で八戸までいき,青函トンネルをとおって函館までいくという計画をたてました. 宿は 2 泊ずつ 3 か所 (函館,札幌,摩周) にし,3 人で,すどまり 1 泊 1 万円程度のところを,みな,楽天トラベルで予約しました. もう東京にもどってだいぶ日がたちますが,1 日ごとに旅行記を書いてみようとおもいます. ほかの日の旅行記はつぎのとおりです.
シャワートイレといえば東陶 (TOTO) のウォシュレットが最初の製品であり,いまでも有名です. しかし,わが家では 1988 年に家をたてるときにジーエルホームというゼネコンをつかったために,そこでわりびきしていた INAX (イナックス) のをつかうことになりました. わが家にはトイレが 2 つありますが,このときとりつけたのはそのうちのひとつだけです. もうひとつには,やっと昨年,松下の 2 万円台のをつけました. これは乾燥機能がない機種ですが,節電のために人感センサーがついています.
8 月 12 日に NHK で 「鬼太郎が見た玉砕」 を見た.
これは水木しげるの 「総員玉砕せよ!」 (集英社板,講談社文庫版) にもとづいていて,水木によれば,ラバウルでの体験を 「90 パーセント事実に基づいて」 書いているが,一部,脚色された部分がある.
水木の作品にはより経験に忠実に書いた 「水木しげるのラバウル戦記
」 もある (Web 上の 「水木しげる伝」 にも同様の内容が書かれている).
すでに Web 上にいろいろな番組評,書評が書かれているが,そのおおくは戦争の悲惨さ,二等兵の悲哀などについて書かれている. しかし,私がもっともつよく印象づけられたのは,名誉のため玉砕を志向する大隊長とそれを避けて兵士たちをすくおうとする中隊長のはげしい対立,そして一時的にはすくわれた兵士たちが結局はメンツを重視する参謀によってふたたび玉砕をしいられるところだった. とくに,前者には 「武士道」 とのつながりを感じてしまう. この部分に注目している評がないことがむしろ,ふしぎである.
買いものをするとき,よく楽天をつかっていますが,その理由は私がかつて研究していた 「軸づけ検索」 と関係があるようにおもいます. もしかすると,そこに 「軸づけ検索」 を普及させるためのヒントがあるかもしれないので,すこしかんがえてみることにします.
数年前にリコーのデジカメ Caplio G3 を買いました. それまでつかっていたオリンパス D460 Zoom をこわしてしまったので,それにかわるものとして買いました. なぜリコーの製品をえらんだかというと,それはシャッターが高速にきれるということです.
これまでつかってきた半円形のテーブルにかえて円形のテーブルをつくってつかうことにしました. これまでつかってきたテーブルも自作したものですが,今回も安価な座卓とパイプをくみあわせて自作しました.
「大論争」 というと,国民の権利のありかたや,憲法における天皇や国政組織のかたちなどについて論争がくりひろげられるさまを想像してしまう. ところが,この本のおもな内容はそれとはまったくちがっていた. 日本国憲法はマッカーサーがきめたのか国会がきめたのか,国際法上有効なのかどうか,などなど,憲法の制定過程などに関する議論がほとんどである. 民主主義にとって手続きが重要であることはもちろんだが,もっと内容に関する議論が必要なのではないだろうか.
この本の解説のなかにも 「この 50 年間,憲法改正 (中略) の論議が深まったということはなかったのである」 とかかれているが,それはいまだに議論のおおくが具体的な憲法の内容にふみこまずに,手続きなどに関する不毛な論争をくりかえしているだけだからではないだろうか. もっと条文の内容にたちいって議論しないかぎりは,いつまでたっても議論はふかまらず,日本の民主主義もふかまらない. そして,気がついたら,むりやり国民投票にかけられているということになりかねない.
こういう “からっぽの議論” が 50 年前にはじまっていたことを確認する意味で,この記録は貴重なものだといえるだろう.
評価: ★★★☆☆
関連リンク:
50 年前の憲法大論争@
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50 年前の憲法大論争@Amazon.co.jp
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冷暖房の温度設定にまつわる話題を書きます. 温度をはかって最適化しようとする理科系の私は家族から奇異におもわれていましたが,いまではそれがただしいやりかたであることがわかったのではないかとおもいます.
日立のメインフレーム・コンピュータ関連製品として,かつて IAP (Integrated Array Processor, 内蔵型アレイプロセッサ) というものがありました. 何世代か IAP をつくりつづけているうちに,IBM がだしてきたのが VF (Vector Facility, ベクトル処理機構) です. これらはいずれもベクトル処理を高速化するための CPU 付加機構 (attached processor. コプロセッサともよばれる) ですが,その設計思想にはおおきなちがいがあります. このことについて一度書いてみたいとずっとおもっていましたが,ここでそれを実現しようというわけです.
インスタント・メッセージング (IM) においては相手の “プレゼンス” を知ることができます. このばあいの “プレゼンス” とは,相手がオンラインかどうかという 1 ビットのデジタルな情報です. オンラインであればメッセージをおくって,すぐに相手のコンピュータにメッセージを表示することができます. しかし,もともとプレゼンスということばは,人間やものの存在感とか臨場感とかいうアナログな情報をあらわすものです. 仮想現実 (virtual reality) においては,もっと本来の意味にちかい意味でこのことばがつかわれています. この分野の専門雑誌として MIT Press の 「Presence」 があって,興味ぶかい論文がいろいろ掲載されています. IM における “プレゼンス” は,それらとはあまりにおおきくちがうものです.
明治時代には日本は後進国だったので,オリジナルな仕事をするより海外の文化を紹介することのほうが重要でした. それが大東亜戦争後もつづいてきたわけですが,しだいにオリジナルな仕事がもとめられるようになってきました. それにもかかわらず,やはり日本にはオリジナルな仕事をするひとより評論家のほうがおおいようにおもえます. (たじし,これはべつに評論にオリジナリティがないといっているわけでは,まったくありません.)
これまで,いろいろな CPU をつかってきたことは 「Pentium (586) 系のパソコン」 などに書いてきました. そのほとんどはもうつかっていません. すてるのももったいないし,売れたとしても二束三文であることはあきらかなので,これらのべつの用途をかんがえました. それは,紙を冷蔵庫やファイルキャビネットにはりつけるときのマグネットのアクセサリーにするということです.
このブログは,私のほかのページと同様に kanadas.com (カナダズ・ドット・コム) というドメインのもとにあります. このドメインをつくったのは,すくなくとも私の “目が黒いうち” は私がつくった Web ページの URL を維持しようとかんがえたからです. できれば私が死んだあとも維持してもらえるとよいとおもっています.
「ネット時代のドキュメント形式」 では 「グーテンベルク以来 500 年以上をかけてつちかわれてきた印刷技術にかわるものをつくりあげるのは容易なことではありませんが,そうしていく必要があります」 と書きました. グーテンベルク以来つづいてきたひとつの伝統は,「文章は縦長の紙 (ページ) に印刷する」 ということでした. この原則はほとんどの印刷物において,なりたっています. 本でも新聞でも,縦長のページをつかったものがほとんどです. しかし,コンピュータ・ディスプレイが横長であることは,うごかしがたいようにおもわれます. 印刷とディスプレイ表示とでは歴史のながさが 1 桁以上ちがっていて,このさきどうなるのかはかならずしもわかりませんが,それでも,私にはグーテンベルク以来つづいてきた縦長のページをコンピュータ・ディスプレイやマルチメディアに向いた横長の表示にかえていく必要があるようにおもわれます.
温暖化防止のためには白熱電球を蛍光管にかえるのが有効です. これまでつかわれてきた器具をいかし,これまでつちかわれてきた文化を継承していくには,できるだけ白熱電球にちかい蛍光管をつくるのがよい. 東芝はこの仕事を徹底的にやってきています. このこだわりは賞賛するべきものでしょう. かたちもとことん白熱電球に似せ,点灯したときのみえかたまで似せた電球形蛍光管 ネオボール Z-REAL EFA10EL8R については 「建築としての自宅で一番,きにいっている階段室」 でもふれましたが,もう一度,この蛍光管について書いてみたいとおもいます.
レジ袋のむだをへらすため,有料化が検討され,“マイバッグ” をもっていくことが奨励されようとしています (たとえば 「レジ袋削減キャンペーン実施中」). 有料化によってむだをへらそうというのはけっこうなことですし,“マイバッグ” をもつのがよいとかんがえるひとはそうすればよいでしょう. しかし,コンビニにいくとき,いちいち “マイバッグ” をもっていきたいとおもうひとがどれだけいるでしょうか? 私は “マイバッグ” をもつのではなくて,レジ袋をくりかえしつかうようにしています.
バッファローの無線 LAN アクセス・ポイント WLA2-S11 がこわれました. 2003 年ころに導入したものです. 熱がたまりやすいつかいかたをしていたので寿命をちぢめたのかもしれません. それにしても,無線 LAN はトラブルがおおくて (信頼性がひくくて),いやになります. アクセス・ポイントも 5 年間で交換は 3 回め,交換にまでいたらなくても,その間,何回かトラブルが発生しています.
最近のテレビのリモコンにはだいたい,「アナログ」,「デジタル」,「BS」,「CS」 とかかれたボタンがあります. これで放送がきりかえられれば便利です. ところが,ケーブルでおくられてくる放送はこのボタンできりかえることができません. ケーブルテレビ専用のリモコンをつかわなければ,放送がうまくきりかえられません. このインタフェースは最悪です.
こどもが金魚すくいでもらってきた金魚がうまくそだったためしがありません. なにかまずいところがあるから,うまくそだたないのだとおもいますが,どこがまずいのかが,まだよくわかりません. こういうとき,すぐに適切な本を買ってくるということもですが,Web をたよるのですが,なかなか知りたいことが書いてあるページがみつかりません. それでも,ことしは 「金魚飼育日記 ~金魚すくいでもらった金魚~」 というサイトで有用な情報をみつけました. これで今年の金魚はすくわれるでしょうか?
約 20 年前に家をたてるとき,リビング全体の照度を 100 ルクスときめました (「わが家の測定器とセンサーたち」). これは日本の家庭のなかではかなり,くらいほうです. 作業や食事のためにはこれではたりないので,それをおぎなうためにいくつか,部分照明をおくことをかんがえました. それは,ダイニング・テーブルのためのペンダント,ソファのそばのスタンドとブラケット,キッチンの作業台のスポットと流しのうえのシーリングライトなどです. また,主寝室には 「主照明」 をおかず,ダウンライト,スポットライト各 1 個とブラケット 2 個をおくなどです.
「kanadas.com -- リンク維持のための自前の Web サイト」 に,私の “目が黒いうち” はこの Web サイト (kanadas.com) を維持したいと書きました. しかし,これでは宣言としてはよわいので,ここでこのブログやこのサイト内のいくつかの部分について,URL を維持することを約束しておきたいとおもいます. この約束は,これらのページへのリンクがきれないこと,リンクの意味がかわってしまわないことを約束するものです.
シャドーワークということばをつくったイヴァン・イリイチによるその定義は 「無報酬とされている仕事だが,何らかの経済行動の基盤を維持したり,支援したりするために不可欠な仕事」 だという. 本書の著者はシャドーワークをはっきり定義していないが,「上司の指示を待ったり,事前に相談したり,または許可を受けるようなことをせずに,自発的な非正規の行動を起こすこと」 がシャドーワークだと書いている. これはイリイチの定義とはあきらかにちがっていて,しかも,とくに 「非正規の行動」 というところがあいまいである. 本書でとりあげられている例をみると,著者がいう 「シャドーワーク」 には無報酬のものもあり報酬があたえられているものもある. また,仕事じたいも経済的に支援されているばあいとそうでないばあいとがある. 無報酬だったり支援されなかったりするときは,その 「仕事」 と会社との関係はよわくなるとかんがえられるが,本書では会社との関係がつよいケースばかりがとりあげられている. 私にはとりあげられている例の大半は本来のシャドーワークにあたらないようにおもえる. はっきり定義されていないことからもわかるように,著者にとっては実はシャドーワークという概念はたいした意味をもっていない,むしろ仕事における自発性に興味があるのだとかんがえられる. シャドーワークそのものに興味があった私は失望させられた.
評価: ★★☆☆☆
関連リンク:
シャドーワーク 知識創造を促す組織戦略@
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シャドーワーク 知識創造を促す組織戦略@Amazon.co.jp
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