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知的生産とリテラシー, 研究法から生き方まで

日本には評論家ばかり!? ― オリジナルな仕事より評論にながれる

明治時代には日本は後進国だったので,オリジナルな仕事をするより海外の文化を紹介することのほうが重要でした. それが大東亜戦争後もつづいてきたわけですが,しだいにオリジナルな仕事がもとめられるようになってきました. それにもかかわらず,やはり日本にはオリジナルな仕事をするひとより評論家のほうがおおいようにおもえます. (たじし,これはべつに評論にオリジナリティがないといっているわけでは,まったくありません.)

理科系であれば他人の仕事を紹介するだけではオリジナルな仕事とはみなされませんが,文科系であれば書かれたものを解釈するのがオリジナルな仕事とみとめられているので,他人の仕事の紹介ばかりしている (しかもオリジナリティがみいだせない) ひともいるようにみえます. 理科系でも,オリジナルな論文をあまり書かずに紹介記事ばかり書いているひとや,多少のオリジナリティはあってもオリジナルな部分はすくなくて,他人の仕事にすこしだけあじつけしたような論文を書いてくらしている大学教授もいるようです.

要するに,オリジナルな研究開発より評論のほうがやさしいから,そうなってしまうのだとおもわれます. このブログも,もともとは私自身のオリジナルな仕事を紹介する目的ではじめたのですが,評論がおおくなりつつあるので,気をつけなければ … とおもいます.

キーワード: 独創性, 独創的

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