[ トップページ ]

メイン

秘密・プライバシー保護とセキュリティ アーカイブ

0001-01-01

tetu_bn_161.gif 書評・読書カテゴリーには私が Amazon や BK1 に投稿した書評や,本について書いた文章をあつめています. 以前はすべての書評をひとつのページにいれていましたが,書評の数がおおくなり,書評・読書カテゴリーのページがながくなりすぎたので,書評・読書カテゴリーを分割しました. 書評以外のカテゴリーにあわせて, Web とインターネット仕事と起業メディア・アート・イベント・エンターテイメントインタフェース,アメニティとデザイン思想・哲学・宗教情報学・計算・プログラミング政治・法律・憲法教養・教育と学習歴史環境生活知的生産とリテラシー社会・経済秘密・プライバシー保護とセキュリティ言語・コミュニケーションとネットワーキング というように書評を細分するようにして,書評カテゴリーのページにはそれらに分類しづらいものをあつめました. なお,このページは各カテゴリーのページの先頭に表示されるように,意図的に投稿日時を 0001-01-01 00:00:00 としてあります (実際の投稿日時は 2007-11-03 10:39 です).

2007-12-31

東 浩紀 は 大澤 眞幸 との共著 「自由を考える」 (NHK 出版, 2003 年) のなかで 「規律訓練型権力」 と 「環境管理型権力」 について論じています. 「規律訓練型権力」 はもともとミシェル・フーコーが 「監獄の誕生」 (新潮社, 原著 1975 年) において論じているということですが,私自身はこの本を呼んではいません. 東の論旨は 「ポストモダン化」 によって 「規律訓練型権力」 によっては秩序を維持することができなくなり,「環境管理型権力」 がそれにかわって登場してきたが,そこにはいろいろ警戒すべき点があるということです. 「環境管理型権力」 は情報技術とくにセキュリティに関する技術を背景として登場してきているということなのですが,したがって,セキュリティ技術との関係を吟味する必要があります. このブログはこのような考察に適当な場所ではないとおもわれたので,「環境管理型アーキテクチャとセキュリティ管理」 において,環境管理とセキュリティ管理の技術との関係を論じています.

つづく…

2009-04-16

ニューヨークより日本全体のほうが殺人事件はすくない. また 1980 年代にくらべると殺害されるこどもの数も半分以下にへっている. それにもかかわらず,ひとびとの安全への不安はかきたてられている. 少年犯罪への刑罰は強化され,精神障害者にも刑罰を課すようになり,「被害者」 によって特定された 「痴漢」 がほとんど証拠もなしに有罪になっている. そこには,社会の関心が犯罪者から被害者にうつったことも反映されているという. 殺人事件においては被害者遺族のために加害者を死刑にするべきだという論理が台頭しているという.

国民の意志が権力を暴力にむかわせているという点においては,日中戦争から太平洋戦争にむかった歴史をおもいおこさせる.

評価: ★★★★☆

関連リンク: 暴走するセキュリティ@ [bk1]暴走するセキュリティ@Amazon.co.jp

つづく…

カテゴリー

Creative Commons License
このブログはつぎのライセンスで保護されています. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type 3.36