復興に向けて の最近の記事

復興に向けて」 の下位のカテゴリーとして,「復興構想会議」,「瓦礫処理」 があります.

東日本大震災がおこったのは不幸なことだ. しかし,日本人は震災復興というような明確な目標ができれば,それにむけてがんばるのは得意だ. いくら被害がおおきいといっても,その点では心配ないといえるだろう. しかし,同時に日本人はこれまでにない目標をたてるのは不得意だとされている. 震災復興とはいっても,津波で家がすっかりながされ,浸水したまま土地が回復しないような状況だ. ここに,これまでとおなじまちをつくることはできないし,のぞましくもないだろう. つまり,これまでになかったまちをつくることがもとめられているとかんがえられる.

まだ仮設住宅もできていない状態だが,いまから復興のためのグランド・デザインを徐々にかんがえていくべきだろう. 気がついたときには戦後の東京のように,もうグランド・デザインができなくなっているということがないようにしなければならないだろう.

そのためには,グランド・デザインに貢献できる可能性があるひとは,いまから準備しておいたほうがよいのではないか. グランド・デザインは政府や自治体にまかせることはもちろんできない. 建築や都市開発の専門家だけにまかせるのも適切でないだろう. そこに貢献できるひとたちが協力して,現地のひとたちをまきこんで,つくっていくべきなのではないだろうか.

[個人ブログから転載します.]

東日本大震災ではおおくの人命や住宅とともに農業,漁業,工業,商業などの施設もうしなわれた. そのおおくはいまも再建されずにいる. 国や県,金融機関などはまだそのおおくをたすけられずにいる. 被災地の金融機関はそれじたいもおおきな被害をだしているから,融資できる金額にも制約がある. そういうなかで,最近注目されいるもののひとつが市民ファンド,あるいは市民ファイナンスだ. ミュージック・セキュリティーズという会社と,それが運営するセキュリテ被災地応援ファンドがあちこちから注目されている.

[個人ブログから転載します.]

経済理論を現在の日本にあてはめるとどうなるか. 世間の常識にとらわれた結論とはまったくちがう結論がえられることをしめしている. そのポイントは震災で電力不足がおこり,ケインズ的経済がなりたたず古典派的経済がなりたつ世界になったということだ.

いま,復興財源として税金をつかうか国債をつかうかがおおきな争点になっている. これに対して著者は両方の選択肢が可能であることをしめしている. 国債を日銀にひきうけさせるのは可能だが,この方法ではインフレが生じて,低所得者にきびしい. 税のほうが公平になるという. だが,はたしてそうだろうか. もし声がおおきい者がよりすくなく税負担することになると,かならずしも税金のほうが公平とはいえないのではないか.

ほかにも,疑問の点がいろいろある. たとえば,電力不足に対処するのに輪番というような統制的な方法でなく電力価格値上げで対処するべきだという主張にはそれほどの説得力があるとはおもえない.

評価: ★★★★☆

関連リンク: 大震災後の日本経済@ [bk1] 大震災後の日本経済@Amazon.co.jp

[個人ブログから転載します.]

東北の復興そして日本の復興がかかっているだいじなときに,政治家たちは目先のことであらそっているといわれている. 復興のために,原発や自衛隊など,現場のひとたちが最大限の努力をはらっているときに,政治家は無能ぶりを発揮しているともいわれる. だが,もうすこしながい目でみるとき,復興をおくらせる要因は政局や政治家の無能ではなくて,日本の針路に関する対立なのではないかとおもえる. 「復興の精神」 という共著本を読み,東京脱出に関するかんがえかたのちがいをみるにつけて,いまや,あらゆる点で国民のなかに対立があり,それを解消することの必要性と困難とを感じざるをえない.

[個人ブログから転載します.]

東日本大震災をどう経験し,どうとらえ,どう復興すればよいとかんがえるかは,この 9 人の著者もひとそれぞれだ. 自分は被災しなかったにもかかわらず,これまでとはすっかりかんがえかたがかわってしまったひともいる. また,これまでとかわらない,つまりある意味で震災に対する準備がすでにできていたひともいるようだ.

読者 (としての私) からみれば,共感をおぼえる意見もあれば,嫌悪を感じる意見もあるだろう. 自分にちかい意見にちからづけられることもあれば,自分とはちがう意見からまなぶこともあるだろう. しかし,ひとびとはすくなくともこれだけの幅のあるかんがえをもっているということを知るべきだ. 東北をそして日本を復興させるためには,そういうかんがえをまとめていく必要があるということになるのだろう.

評価: ★★★☆☆

関連リンク: 復興の精神@ [bk1] 復興の精神@Amazon.co.jp

[個人ブログから転載します.]

東日本大震災復興構想会議では,水産業の復興のために特区を創設して民間資金を活用するという宮城県知事が推進してきた案がとりいれられている. これに対して,漁業者などが署名をあつめて反対しているという. かれらは,東北だけでない日本の水産業復興のために自分たちがなにをすればよいのか,まったくわかっていないのではないだろうか?

[個人ブログから転載します.]

6 月 21 日に東日本大震災復興基本法が国会で成立した. 24 日に公布されたはずだ. この法律の内容はどこに書いてあるのか? Google でさがしても容易にみつからなかった. こういう重要な法律の内容がすぐにしらべられないのは,おかしいのではないか.

[個人ブログに書いたのとおなじ内容をここにも書いておきます.]

東日本大震災では地震そのものよりも津波の被害が圧倒的におおきかった. 地震に関してはすでに,地震とたたかうというよりも,地震をのがれる 「免震」 のかんがえかたがひろまっている. 津波をはじめとする水害に関しても,スーパー堤防をつくってそれとたたかうのではなくて,津波や水のエネルギーをにがす 「免波」 の方法をかんがえるべきなのではないだろうか. このかんがえかたをひろげれば,「防災」 ではなくて 「免災」 につながっていくだろう.

[個人ブログから転載します.]

東日本大震災では,防潮堤があったにもかかわらず低地にたてた家のおおくが津波で流出したり破壊されたりした. あらたに家をたてる場所としては高台が有力視されているが,頑丈な中層建築をたてて津波の際には上階に逃げる方法や,広大な人工地盤をつくってそのうえに家をたてる方法が提案されている. しかし,おそらく技術的に確立された方法は高台にたてる方法しかないだろう.

[個人ブログから転載します.]

20 人以上の著者が災害復興における 「コミュニティ」 について書いている. 読んでいて疑問におもうのは,これらの著者のあいだにどれだけ 「コミュニティ」 ということばに関する共通理解があるのだろうということだ.

最近の日本の災害に関しては,町や村のなかでのひとびとのつながりについての記述がある. しかし,それも抽象的だ. もっと過去のことや海外での事例に関しては,人間が登場せずに住宅のようなモノについての記述にとどまっているばあいもある.

スマトラ地震に関してはアンケートの結果をみて 「コミュニティ」 がたよりにならなかったと書かれているが,そもそも被験者は 「コミュニティ」 ということばを理解できたのだろうかという疑問がわいてくる. ことばがわからなかったから,ひくい評価しかあたえなかっただけではないのか?

最悪なのは,災害が発生する 「事前に耐震・耐火の建物に建て替えておこうというのでは,それは単なる震災という脅しで行う再開発事業に過ぎず (脅し・説得のコミュニケーション),本稿で検討するに値しない」 (1.1.1) という記述だ. まずは価値判断ぬきで記述して,価値判断はそのあとにあるべきだろう. 全体をとおして,いまだ 「復興コミュニティ論」 にはなっていないといってよいだろう.

評価: ★★☆☆☆

関連リンク: 復興コミュニティ論入門@ [bk1]復興コミュニティ論入門@Amazon.co.jp

おもにミュージシャンに個人の資金を提供してきた Music Securities は被災地の小規模事業者に資金を提供するためのファンドを運営しています. まだ参加しているのは 6 事業者だけだが,今後に期待したいとおもいます.

[個人ブログから転載します.]

東日本大震災にどう対処するべきかをかんがえるとき,いくら未曾有の規模とはいえ,過去の災害時の記録がやくにたつだろう. 当初は阪神淡路大震災の記録がやくにたつのではないかとかんがえていた. それももちろん,やくにたつだろうが,戦災復興の記録もやくにたつのではないかとおもえてきた.

被災地のおおくは,建設されていた堤防をこえる津波がおしよせた. その結果,堤防はこわされ,今回の津波よりひくいものでも,ふせげない状態になっている. 堤防を再建することは必要だが,膨大なコストがかかるスーパー堤防をつくるのでなく,高台などへの移転や観光客の避難体制の確立など,さまざまな対策をあわせて実行していく必要があるだろう.

東北産」 では,青森から茨城までの野菜,精肉,魚介などの販売情報や生産者情報を紹介しています.